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千葉神社

千葉駅周辺

平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文(たいらのよしぶみ)は、戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき、常に大勝利を収めておりました。この良文公を祖とする千葉氏は、一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、代々熱烈な信仰を捧げてまいりました。

千葉氏の三代目である平忠常(たいらのただつね)の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社の境内:香取山(かんどりやま)の一画に、千葉氏によって妙見様の御分霊(=分身)をお祀りする祠が建てられました。(年代不詳)

この祠に、眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と「北斗山金剛授寺」という寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。

忠常公は、賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男・覚算(かくさん)を大僧正に就け、長保2年(西暦1000年)旧暦9月13日、「北斗山金剛授寺」を中興開山しました。

(中略)幕末を経た明治2年(1869)、明治政府が発した「神仏分離令」により、当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、数百年続く祭礼を継承すべく「千葉神社」と改称して神社となり、今日に至ります。(千葉神社公式サイト「御由緒」より)

※千葉国際芸術祭2025では、一部企画の会場として展開。


住所 千葉県千葉市中央区院内1丁目16−1
アクセス JR千葉駅・京成千葉駅 徒歩13分

※千葉国際芸術祭2025についてのお問い合わせは芸術祭専用お問い合わせ窓口からお願いします。各施設・拠点へのお問い合わせはお控えください。


公式ウェブサイト

この拠点のプロジェクト

ゴロゴロの風景 2025_Chiba City

千葉駅周辺 エリア
「ゴロゴロの風景 2025_Chiba City」は、都市に日々蓄積されていく見えない記憶を可視化し、共有・保存することを目的としたアートプロジェクトである。都市とは常に変化し続ける場でありながら、その地に生きる人々や物質には、確かに時間の痕跡が刻まれている。本作は、そうした日常に埋もれた記憶や問いに目を向け、都市と個人の関係を再考する試みである。 本作の根底には、都市における「移ろう記憶」と「定着した記憶」が交差する構造への関心がある。観光や物流など、日々この地を訪れては去っていく人々の一時的な痕跡と、長くその場に住まい続ける人々の記憶とが、都市の風景を多層的に形づくっている。 舞台となる千葉駅周辺は、房総半島と東京圏を結ぶ結節点であり、多様な人々が行き交う場である。エッセンシャルワーカーをはじめとする多様な背景を持つ人々が日々この地を訪れるなかで、その無数の移動や存在の痕跡が都市の風景に折り重なっている。本プロジェクトは、このような都市の流動性と、そこに潜む個々の痕跡に焦点を当てている。 作家自身がガラス製のタイヤを転がしながら千葉駅周辺の都市空間を移動する行為が、プロジェクトの中核をなす。シャフトに取り付けられた小型カメラがガラス越しに風景を記録し、その映像には都市の景観が歪んで映り込む。使用するガラスは、千葉駅周辺の路面から市民の協力によって採取された砂埃を素材の一部として作成する。交通の要所としてのこの地に日々蓄積される「都市の微細な痕跡」を可視化する試みでもある。 展示会場には、ガラスタイヤの実物と記録された風景映像を並置する。物質としてのガラスに刻まれた摩耗の痕跡と、映像として捉えられた歪んだ風景が重なり合うことで、鑑賞者に都市を異なる層で感知する新たな感覚をもたらす。社会課題の直接的な解決を目指すものではなく、むしろ日常の中に潜む問いをすくい上げ、鑑賞者自身の気づきや対話を生み出すことを、本作の本質としている。 さらに、ローカルリサーチの一環として、市内の小学生の靴から採取した砂を用いたガラス製のタイヤも制作を検討している。このタイヤは会期中、鑑賞者が自由に街中で転がすことができ、地域の記憶や環境との新たな関わりを体感できる場となる。 【市民参加のかたち】材料提供/ワークショップ参加/展示鑑賞(体験あり)
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